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いきものがたり

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2017年 07月 04日

椎名キーパーにインタビュー (マルキーズ情報誌2017年新春号掲載)

命と向き合う

   ~アフリカゾウの家族と共に~


山岡 2016年もあと残すところ二週間になりました。歳をとるほど涙もろくなるって言いますけど、
私は今年くらい泣いた1年はありませんでした。それも慟哭状態。
アフ君のことを思い出しては急に泣くもんですから、ちょっとおかしくなったんじゃないかって周りから思われていたようです。
椎名キーパーにとっては、どんな一年だったと言えますか?


椎名 そうですね。一言で言うなら・・・

やはり、波乱万丈かな。 

自分の入院、手術。退院後すぐにアフ君が逝ってしまい、肉体的にも精神的にもしんどい一年だったですね。

病気がわかったとき、まず、考えたのはゾウさんたちのことでした。
自分が現場を離れることになったら、ゾウさん達は大丈夫だろうか?自分は病気でどうなるかわからない。
医者は最悪のことも宣告するでしょ。手術後は、現場に出てゾウの世話をすることは無理かもしれないなんてことも言われましたからね。
少しでも手術を先延ばしして、やれることをすべてやっておこうかとか、色いろ考えましたね。
でも、おかげさんで、今こうして元気になりました。皆さんには、ご心配をおかけしました。

今年はゾウ舎のパドック拡張工事も決まっていましたから、いよいよ、とべ動物園がアフリカゾウの繁殖センター的役割を担う方向に進む予定だったんです。
他の動物園から雌ゾウを借りてきて、アフ君とのペアリングを考えていました。
しかし、アフ君があんなことになってしまったから、すべてが暗礁に乗り上げたかたちになりました。

やっと、あの子たちの傍に戻れて4日目の出来事でしたから、心も体もキツかったですね。

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やはり、この1年、アフ君を死なせてしまったことが一番悔しいです。
山岡さんみたいに人前でビービー泣いてはいませんが、自分だって、涙で枕を濡らす日々だったんですよ。() 

アフ君もリカさんも自分にとっては子どもみたいなものです。アフリカの孤児院からとべ動物園に来てくれたその日から、
28年間、自分の子どものように接してきました。
そんな我が子の命を守り切れなかった自分に腹立たしさを覚えることもありました。
でも、悲しんでも悔やんでも、もうアフ君は戻ってきませんからね。
でも、もし、アフ君を立ち上がらせることができたとしても、自由が利かない体になってしまっていたでしょう。
彼は死ぬまで苦しい思いをすることになったはずです。

自分たち飼育員は、担当動物の死にいつまでも感傷的になっているわけにはいかないんです。
今、目の前の生きている命に精一杯気持ちを注がなくてはならない。残された家族のことを一番に考えてやらなければならない。
彼女達の前で自分が沈んでいたのでは、それが伝わりますから。

飼育員の仕事をしていたら、死と何度も直面することになります。命を預かる、命と日々向き合う仕事である以上、仕方のない事です。
生と死は隣り合わせ、心の準備もできないうちに、死は突然訪れることもあります。
ですから、生きている目の前の命にいつも真剣に精一杯のことをしてあげる。
ご飯を与え部屋を清潔に保ち馴致訓練をし、時々は遊んでやり、毎日、同じことの繰り返しの中でも、
あの子達は今、何を望んでいるのか何に不満があるのかを推し量り、そして、少しの変化も見逃さないように見ていてあげることの大切さを、
あらためて痛感しました。

アフ君といた28年間で、自分は飼育員として色んなことを勉強させてもらいました。
今となっては、アフ君には感謝しかないですね。とべに来てくれてありがとう。一緒に歩ませてくれてありがとう。
そして、素晴らしい家族を作ってくれてありがとうと、いつもそう思っています。


山岡 私も、尊い命を間近に感じさせてもらい、泣いたり笑ったり感動をありがとうという気持ちでいっぱいです。

ゾウは感情豊かな動物だとは聞いていましたが、父親(仲間)の死をあのように悲しみ沈み込む家族の姿を見て、
アフお父さんの存在の大きさを実感すると同時に、家族愛に心が打たれました。
ゾウという動物の素晴らしさを、ますます多くの方にお伝えしたいと思いました。
そして、椎名さんがここまで共に作ってこられたアフリカゾウの家族、アフ、リカ、媛、砥夢、砥愛、それぞれと心を通わせ、
どのような思いでお世話をしてこられたのかを伝えていきたいですね。
とべのゾウさんたちのためにも、飼育員になりたいという子どもたちに知ってもらいたいなあと思います。

椎名さんがレジェンドと呼ばれる存在になったのは、飼育技術はもちろんですが、根底にゾウに対する思い、
命を預かるという重みを知っているからこそ、人一倍努力もされてきたのだろうと私は感じているんです。

11月にはアフリカに行かれましたよね。アフ君の遺灰を持って行かれたそうですが。アフリカでの話をお聞かせいただけますか?

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椎名 モザンビークに行ってきました。以前からお付き合いのあったNPOの方がモザンビークのある村の支援活動をされていて、
その村でも、野生ゾウと人間の共生が問題になっているらしいのです。
自分が少しでもゾウの生態や習性、共に暮らすためのアドバイスができればと思い、
そして、アフ君を故郷のアフリカの地に帰してやりたい、アフリカに連れていってやりたいという思いがあって、その方の渡航に合わせて行ってきました。

 自分はアフ君から色んなことを学ばせてもらいました。
アフ君が亡くなった後、自分に何ができるか、何をすることが一番の恩返しになるのかを考えると、
残された家族が幸せに暮せるよう精一杯お世話をしてやることは当然なのですが、
亡くなったアフ君に対して、せめて亡骸の一部だけでも生まれ故郷に帰してやりたかったんです。

村の村長さんが祈祷をして、アフ君の遺灰を村の公民館建設予定地のカシューナッツの木の根元に埋めてくださいました。

そこだったら、アフ君がひとりぼっちになることがなく寂しくないだろうということでね。

自分が日本に帰った後、ゾウの群れがその木の近くまでやって来たと聞きました。アフ君の弔いに来たのだろうと・・・。
これで、ゾウたちが村を荒らしに来ることも無くなるだろうと村長さんが言われていたそうです。それを聞いて、なんか嬉しかったですね。


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山岡 アフ君のお墓に野生のゾウが弔いに来てくれたなんて、また、泣けてきそうです。
アフ君、おかえり、よく頑張ったねって言いに来てくれたに違いないです。

ところで、椎名さんは現地の野生ゾウには会えたんですか?私も一度はアフリカに行ってゾウの群れを見てみたいと思っているんです。
あの子達と同じように優しい目をしているのかなあ。


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椎名 そんなに近くで見ることはできませんよ。() 2日間で三つの群れを見ましたが、100メートルは離れていたと思います。

ただ、山岡さんのように、ゾウが好きというだけなら、アフリカで野生ゾウの群れを見て感動して帰ってくるのでしょうけど。
自分は野生ゾウを見るよりは、ヨーロッパとか外国の動物園を見るほうが、自分のためにもなり、ゾウたちのためにもなると思っているんです。
どのような環境下でどのような飼育をしているのか、どのように信頼関係を築きゾウと接しているのか、
全てがいいとは思わないでしょうが、真似るべきことがあれば、ここで生かしていきたいと思うんです。

飼育下のゾウは限られた空間の中でしか暮らすことができません。
野生の暮しと比較したら、それはかなりのストレスになっているでしょう。
そのマイナス要素を補えるだけのソフト面での最高のサポートをしてやりたいんです。
ハード面は自分たちではそう簡単に変えることはできません。
せめて、ソフト面では現状維持ではなく、今以上に何かしてあげられることはないか、常に考えています。


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自分は退職するその日まで、飼育技術を向上させる努力が必要だと思っています。ここまでやればOK!そんなもんじゃない。
ゾウさんたちはそれぞれが違う性格で感情があるんです。心も体も成長している生きた命です。
動物園にいてくれている動物たちに感謝する気持ちがあれば、当然のことだと思うんですよ。

山岡 椎名さんはさすがレジェンドだわ。
ところで、椎名さんがモザンビークに行ってらっしゃるときに、媛ちゃんが10歳のお誕生日を迎えましたが、
傍に居られなくて残念でしたね。

3頭目にしてやっと元気な赤ちゃん、媛ちゃんが生まれてから10年という節目を迎えた今、特別な思いがあればお聞かせください。

椎名 傍に居ようが遠くに居ようが、気持ちはいつも彼女に向けていますから()
10年と思うと長いように感じますが、色んなことがあり過ぎて、この10年はあっという間に過ぎたという感じです。

人工哺育は手探り状態で毎日無我夢中だったし、砥夢くんが生まれ、砥夢くんとの別れがあり、砥愛ちゃんが生まれ、気がついたら10年ですよ。
媛ちゃんは弟や妹と一緒に暮らすことで、人間に育てられたひとりぼっちのゾウさんから、ゾウの家族の一員になってくれました。
リカさんは子育てできない母ゾウから、立派なゾウのお母さんになってくれました。
ゾウの家族を一緒に作りながら、自分自身も成長させてもらった10年でしたね。

これからは、少しずつ若い子たちに現場を任せていかなければならない立場ですが、若い子達の作業を見守りながら、
気持ちは今まで以上にゾウさんたちに向けてやりたいと思っています。
リカさんは自分の子ども、媛ちゃんや砥愛ちゃんも自分の中では子どもなんです。自分の大切な一部ですよね。



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山岡 今日は感動的なお話をありがとうございました。
椎名さんの命と向き合う仕事の心構えやゾウさんに対する愛情が、あの子達家族に伝わっているから、
ここまでの信頼関係ができているんだと思いました。
今、飼育員になりたいという夢を持った子どもがたくさんいます。
ゾウさんのために努力を惜しまない椎名さんの背中を子どもたちに見せ続けてください。
そして、これからは、少しはご自分のお体のことも大切に思ってくださいね。それがゾウさんたちのためでもあるわけですから。
来年も益々のご活躍を期待しております。ありがとうございました。 

                                        (取材・文 山岡ヒロミ)



by taketoriouna | 2017-07-04 09:33 | アフリカゾウ家族


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